グリッドマン6話目観たんですけどやっぱ2話目で先生がアカネにぶつかって謝らなかったの男尊女卑じゃないんですか?という話

 2話目のアカネの流れとしては歩きスマホの先生にぶつかったけど先生が謝罪しなかった、だから殺そうとしたけど先生は殺されず(襲われはした)怪獣は倒され、その後主人公と先生がぶつかった際先生は謝罪した。それを見ていたアカネは硬い表情だった。
 これネットでは「先生が改変されたから謝罪するようになった」って言われてるんですけど、その根拠が先生が教室入るときスマホ弄りながら入らなくなってたからなんですよ。でも歩きスマホは変わってないじゃないですか。改変されたなら歩きスマホも変わると思うんですよ。
 で、YouTuber回でアカネは男4人を殺そうとするけど最後の1人を襲ってるとき「死んでても死んでなくてもいい」といった趣旨の発言をするんですね、これって明確な殺意がある訳ではなく「憂さ晴らしで襲って死んでくれたら助かる」くらいの気持ちなんじゃ?と思うんですよ。だとしたら先生を殺し損ねてそのままもう一度怪獣作らなかったのも「絶対的な殺意ではなかったから」として納得出来る。

 さてYouTuberのその後で気になるのが、残されたやまとが1人でもArcadiaを名乗っていた件。はっす達いわくArcadiaは最初からやまと1人だった、とされていますが普通YouTuberソロ活動って自分の名前だけで活動しますよね?いきなり「初めましてArcadiaのやまとでーす!」って言われてもいやお前の名前はArcadiaなの?やまとなの?ってなるだろどう考えても。
 これ1話目で死んだクラスメイト達が「中学生の頃に死んだ」はずなのに「高校の連絡網に記録があった」のと同じで、辻褄合わせの部分はアカネの憂さ晴らしに関係ないからそのままなんですよね。
 それを踏まえて先生を見ると、【謝罪はするが歩きスマホは変わらない】になるんです。おかしくはないと思いますか?でも先生、【歩きスマホはするのに教室入るときはスマホいじらない】になってるんですよ。謝罪に関して改変が行われたなら「スマホいじること」に関して改変されるのはおかしいし、改変されたとしても中途半端。むしろ「歩きスマホはしなくなるが教室ではスマホいじる」ってなるのが自然なんですよ。
 つまり【先生に関しては改変がなされていない】と捉えていい。
 「なんで?先生謝罪するようになったじゃん」と思うかもしれませんが、あのシーン、謝罪する先生を見るアカネの表情が怒っているものだったのを思い出してください。改変されたなら普通、もう少し「よし!」みたいな明るい表情になると思うんですよね。

 6話目でアカネはこの世界を都合よく変えてきたことが明かされ、また、アカネがグリッドマンの核心へ迫ろうとしていました。
 その過程での会話に「怪獣が好きなのは男子でも珍しい」という台詞があります。これは「女子で怪獣好きなのは珍しい」という言葉を受けてのアカネの返答ですが、そもそも【女子で怪獣好きなのは珍しい】というのは【性差別】に当たります。
 クラスでみんなに好かれるアカネのイメージなら「えーそうかな?」みたいな一言を挟んでからでもおかしくない。そこを間髪入れずに男も同じだと返すのはある種強い意志の表れで、【性別による差異】を認めさせない考えが伺えます。
 また、アカネは豊満な胸を持つキャラクターとして描かれていますが、彼女の胸に言及するキャラクターは出てきません。現実では公式から水着の抱き枕が発表された(性的なものとして捉えられている)のに、アカネの世界では彼女を高嶺の花だと思う男子はいても下衆な感情を向ける男子はいない。
 これ、高校生男子として不自然じゃないですか?現実では胸の大きい女子に対して侮辱的な反応をする男子が当たり前にいましたが、アカネの世界にはいない、つまりアカネは「性差別をする人間を消してきた可能性がある」と見て取れます。

 これを踏まえて2話目の先生及びアカネの反応を思い出してください。
【女のアカネには謝罪しなかった】
【男の主人公には謝罪した】
【男の主人公に謝罪する先生を怒った表情で眺めるアカネ】
 つまりアカネにとって謝罪する先生の姿は本意ではなく、その理由は【性別によって謝罪する相手を選んでいる性差別があるから】と捉えることができるわけです。

 何がどう改変されたのか改変されていないのか、明確に出されていない作品なので考えが間違っている可能性は非常に高いですが、可能性のひとつとして提示させていただきます。
 アカネがどうやってこの世界を作りあげたのか、早く明かされたいですね。